”元祖毒霧レスラー”ザ・グレート・カブキがマットを去る・・・

プロレスラー、ザ・グレート・カブキ選手が
今日12月22日に引退します。

カブキ選手は、54年もの間プロレスラーとして活躍し続けました。

1964年に高千穂明久の名前でプロレスデビュー。

その後日本とアメリカを股にかけてキャリアを
積んでいきます。

そして1981年にアメリカでヒールレスラー、
ザ・グレート・カブキとなりました。

1980年の年末。テキサス州ダラスに入った高千穂明久は、ゲーリー・ハートと出会い「ザ・グレート・カブキ」への変身を決断した。覆面をかぶるのではなく、顔に歌舞伎役者が施すくま取りのようなペイントを自ら考えて実行した。

「ところが、最初はなかなかいいものがなくて、役者と同じようなどうらんだと、汗ですぐに落ちちゃうんですよ。いろんな物を試したんですけど、最終的に一番良かったのは口紅だった」

苦心を重ねたペイントの材料。赤は口紅が最適だった。

「歌舞伎のくま取りだと線が細くて目立たない。遠くのお客さんにもハッキリ分かるように、ひとつひとつの線を太く書くことを心がけました」

ペイントはすべて自己流。デザインも試合のシチュエーションなどを考え自らがデザインした。キャリアを重ねるうちに化粧品よりも落ちにくい素材をみつけ改良していった。

「化粧品から、それからアクリルの絵の具になり今は看板に書くマジックがあるんですけど、それを使っています。当時はペインティングレスラーは、オレだけだったけど、今の時代は顔にメイクする子がたくさんいるから、控室で“どんなの使っているの”って聞いて、いい物があると“それいいな”って使うこともありますよ」

ペインティングが固まった。次に考えたのが入場時のガウンと試合コスチュームだった。顔を覆う般若の面は市販で売っているものを使った。空手着と作務衣を重ね合わせたようなデザインのガウン、頭からかぶった忍者マスクは自分で縫った。黒い胴着のようなタイツは日本から送ってもらった。リングシューズは地下足袋を使った。最後に大切なことがあった。新たなレスラー「ザ・グレート・カブキ」が背負ったヒストリーだ。観客が一人のレスラーに思い入れを持つためには、そのレスラーがたどってきた歴史、エピソードが重要だった。アメリカのプロレス雑誌の記者が取材に来た時にゲーリー・ハートとカブキが持つバックボーンを考えたという。

「ゲーリーに“出身は、日本から来たことにするのか”って聞いたら、“そうだ”って言うから、80年代に入って日本は当時、米国人にとってヒート(悪い感情)もなくなっていたし、“もっとミステリアスな国にしようか”って言ってね。前に遠征に行ったこともあったから、“じゃぁフロム・シンガポールにしよう”ってアイデアを出した。ゲーリーに“知っているか、シンガポールっていう国?”て聞いたら、“オォ、こんな小さな国だろう。それがいい”って納得してね。シンガポールで空手の師匠を殺してアメリカに逃げてきた。それがバレるといけないから顔にメイクをしている。彼の顔は半分ただれているんだって。ゲーリーが雑誌の記者にしゃべってね。オレは横で聞いていてこれは面白いと思った。だから、ペイントをしてカブキになることに全然抵抗はなかった」

迎えた81年1月10日。ダラスのリングにシンガポール出身の謎のペイントレスラー「ザ・グレート・カブキ」が登場した。

こうして誕生したカブキ選手は、
アメリカのプロレス史に残る大活躍をしました。

緑色と赤色の液体を口から噴き出す「毒霧」と
ヌンチャクを両手で振り回す姿に、観客は衝撃を受けたことでしょう。

その姿から、つけられた異名が「東洋の神秘」でした。

日本でもその人気は変わらず、
新日本プロレス、全日本プロレスの両団体に参戦して
数多くのレスラーと試合をしてきました。

同じくアメリカで活躍した、ザ・グレート・ムタ選手は
カブキの息子というギミックで誕生しています。

日米でプロレス界のレジェンドとなったレスラーは
それほど多くはいないでしょう。

その中でも、大きな成功をしたカブキ選手は、まさに
プロレス界のレジェンド、「生ける伝説」なのです。

本日の後楽園ホールで、その長いプロレス人生に
ついに幕を下ろすカブキ選手。

「毒霧」と「ヌンチャク」が
リングに舞う姿も見納めになります。

最後に、カブキ選手の言葉に「なるほどなぁ~」と
思った言葉があったので紹介します。

「リングに上がってお客さんの声援とかしゃべりとかを聞いていると、次なに出るんだろうっていうのが伝わってくるんですよ。お客さんをリングに魅了させて、時にはお客さんに考えさせたりしてね。感動をさせて、その感動で声がかかってくる。応援がかかってくる。それを感じ取りながら試合は作っていかないといけない」

「技を出しても、お客さんが、いすの背もたれにもたれて“はい、はい、よくやった”で終わっちゃったらダメなんです。背もたれから前のめりになって“次は、何やるんだろう”って見入ってくれなきゃダメなんです。期待に応えるだけでなく時には裏切りながら、意外性が大切なんです。今の試合を見ていると、大きな技を使ってこれで試合が終わるのかって思ったら終わらないで、また次の展開になる。それを続けていたら、客は意外性を感じないですよ。大技が出たら、それで終わりなんです。そこまで行く過程が大事なんです」

日本とアメリカの両方で活躍されていた
カブキ選手ならではの言葉ですね。

これってプロレスにおいて非常に大切な要素だと思うんです。

大技だけ出しまくって、はい勝ちましたって、それじゃ面白くもなんともないし、お客さんも盛り上がりません。

魅せ方の上手さというか、観客の求めていることを
察知して動くことができる能力

過去を振り返っても、それを持っているレスラーって人気になって売れているんです。

それができない選手の試合を見ると、
やっぱり観客の空気というのが違うなぁというのを感じますし、技1つでもその差は表れています。

これからさらにそういう能力って
必要になっていくと思いますし、
それができる選手が増えていって欲しいですね・・・。

カブキ選手は居酒屋も経営されています。
「BIG Daddy酒場かぶき うぃずふぁみりぃ」
というお店らしいので、東京にお住まいの方で
初めてプロレスを好きになった方は寄ってみてくださいね。
BIG Daddy酒場かぶき うぃずふぁみりぃ facebook

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SHOTA

プロレス見るのが大好きなのに会社の給料が少なくてプロレスを観戦したくてもできない日々を過ごしていたが、脱却することに成功。その時の体験談、経験や、初心者でもプロレスを好きになってもらえるような情報を発信しています。